気がかりなこと。

ウイルスからの感染が怖いから、日本中で徹底的にリスクを排除する傾向は、母のいる施設も例外なく、右へ倣えのスタンスがなされた。

 

昨年、冬(2020年3月位から?)、面会の形態は、1日30分という制限になり、次には15分、そして春を境に、窓越しかつ・ビニールのパーティション越しで、月に一度、15分間という形に変更、最終的に年越し1月、再びの緊急事態宣言発令を機に、面会はどういった形であれ、一切禁止。その目処は今のところ無し。といった状態。

 

数年後には、ある結論が出る頃には、自粛賛成・反対。ワクチン賛成・反対なども含め、『私の主張が正しかった』と、そのどちらの主張達も一切譲らず、もしくは、するりと身を翻し、手のひら返しの主張を叫び、『何だったのだろう…あの時は?』

となるなら、それも良いのだろう。

 

ただ、一つ気がかりがある。

 

自粛の境に、母を含めた、施設内入居者達、それは、ポンコツではなく、戦後の日本を死に物狂いで支えた、功労者の塊であり、先人達の知恵の塊でもある、貴重な存在た。

 

その方達の束の間の喜び、ほんの少しの会話を奪われ、当たり前の人間の尊厳が誰かの手によって、失われてしまった事。

 

ただ一つ気がかりがな事。

 

人間は素晴らしい生き物であると同時に、それ以上に愚かで馬鹿な生き物である。