ピグマリオン効果

 

専門学校時代の話の続きである。

 

金曜午後、作文(論文)の時間があった。90分×2コマの授業だ。

 

先生の指定した場所に赴き、そこで感じた事を原稿用紙2枚に仕上げる。誤字脱字は許されず、また、800字の最後に句読点・マルで終わらなくてはならない。正確に書き上げた者から帰宅が許されるルールだ。

 

早く帰りたいというよりも、誰より正確に早く書ける事が「小さな誇り」のようなものになっていった。自分よりも早く書き上げる者がいると悔しくて悔しくて仕方なかった。早さで負けた時は、内容は絶対に俺の方が面白いはずだ、などと根拠のない自信で自分を励ましていた。校正の時間が地獄ならば、この時間こそが天国であり、この為に学校に来たんだと…。

 

ある時、すれ違いざま「君、面白い文章書くね!」「読書は好きか?」などと先生に話しかけられた。ミニマムな世界ではあるが、誰かに初めて自分を認められたような気がした。嬉しさの余り、学校の外、明治通りを駆け足で走り抜けた。

たわいも無い短い時間ではあったが「宮本輝が好きです」「村上龍は殆ど全部読みました」などと聞かれてもないような事まで、あれこれ話した記憶がある。

 

それがきっかけになり、また、金曜午後が好きになった。

今でこそ「コピペ」を使えば文章の移動は簡単なのだが、消しゴム世代の専門時代、文章の構成は頭の中で念入りに練ってからでないと、この文章をここからまるまる移動なんてものは消す時間、改めて書く時間、原稿用紙が汚くなるリスクなどがあり、大変なロスになる。つまり、想像力や構成能力の欠如を意味するのだ。

しかし、限られた時間の中だ。何を書き、何を訴え、落とし所に何をする…思考しながらもペンを走らせるという同時進行の能力も又、必要となる。

 

そんな地味な作業ではあるが、この時に随分と鍛えられた気がする。当時、ヨガなんて言葉は勿論、ヨガ解剖学講師なんて言葉も知るはずもなかった。しかし、この時の体験は、間違えなく今、講座そのものに反映している。

 

同じ講座であっても、関西と関東のノリの違い、テンションなど考えると、フォーマットの中だけでは通じないものがある。

そんな時、思考ながらペンを走らせた10代の経験が、俄然と活きてくる。

 

「期待を持って接すると、人とそれに応え流ように順応する、ピクマリオン効果」僕のそれは高田馬場で養われた。