『令和』という名の時代において、何かが足りない。何処か、ボヤけている。
『昭和』の時代に確かにあった、その何かとは?
置き去りにされた、忘れ物を探すとすれば何なのか?を考えてみた。
そして、それを人は老害と呼ぶのであろう!
今更…『昭和』。
しかし、笑われても構わない。
残念ながら、昭和で青春のという名の蒼くさくも、乾ききったビル街を走り抜けてきたのだから。
手の中には、古びたコンパスしかないのだ。それを頼り生きてきて、今も何とか生きている。
ある時、さかたのりこから、こんな話を聞いた事がある。それは伝聞であるので、その真実は定かではない。
『桃ちゃんさ、絶対、男に負けなくないって、そんな思いでアーサナするらしいよ!アーサナで男に負けそうになる事がたまらなく嫌なんだってさ!』
それが本当ならば、ただ一言、馬●である。
理由がくだらなすぎる。
馬●を通り越した、向こうに、『井上桃子』が存在するといっても過言ではないだろう。
但し、僕は、そんな馬●がたまならなく好きだ。
誰かが言った言葉。
『勝負の決め手になるのは、頭脳とかスキルではなく、根性というものだ。』。
そこに何かが通じている、そんな気がする。『井上桃子』恐るべしだ。
ヨガで呼吸を止める事は禁じ手である。
しかし、『井上桃子』は、その禁じ手を堂々と冒してくる。それは、男に負けたくないからだ。
やはり、馬●である。理由が幼すぎるのだ。
但し、そんな馬●が、世の中では案外、成功していくのだ。
何故なら、大好きなミュージシャンも、プロレスラーも、棋士も、作家も、皆、同じように外れていた。大抵、大馬●者の集まりなのだ。
その昔、ドイツサッカーチームのゴールキーパーは、チャリティイベントでの小学生のシュートを真剣に弾き返し、小学生をしゅんとさせていた。
よく考えると、それは、まるで、『井上桃子』そのものだ。彼女はオリバーカーンの遺伝子を受け継いでいる。
大人気無いと、言われようが、嫌なのだ。そこに理由などない。
そんな『井上桃子』だからこそ、昨年、誰もが憧れる『OHANA smile』での夜クラスを後押しさせてもらった、そんな経緯さえある。
『この子、いつだって本気なんです』
と。
『本気』と書いて『マジ』と読む。未だ、その言葉を使っていそうで、『井上桃子』には恐ろしさを感じる。
そう、彼女のポケットには、
溢れんばかりの負けず嫌い魂がある。
ほどほどにしろよ!といっても、『井上桃子』には通じない。
何故なら…●●だからだ。
『令和』という時代は、平等と寛容さで一杯なのかもしれないが、彼女はそれを許さない。
『だって、男には負けたくないんです』
どんな恨みがあるのだろうか?
誰よりも高学歴の彼女は、いつだって市井の人として、その学歴を鼻にかける事なく女性には優しい。
何故?
『だって、男には負けたくないんです』
その一点ばりだ。
その心にはどんな痛みがあるの?
誰かもが羨む、結婚生活までも手にいれながら、そのリア充とやらを、ひけらかす事なく仲間には限らなく優しい。
これを目にした、男性ヨギー、一度、昭和に置き去りにされた、負けず嫌い魂ってものを、是非、久しぶりに肌で感じてみてほしい。勿論、女性達も大歓迎だ。
しかし、改めて言う、
『井上桃子よ、負けず嫌い魂もほどほどにしろ』と。
4/10、それは『井上桃子』の為に存在する。