残念な話。

 

3/11。14時半過ぎだったような…。

 

誰もが忘れるはずのない、

10年前、東日本大震災。

 

日本全てに混乱を起こし、

あらわす事の出来ない、悲しみが降りかかった当日。

 

未だ鮮明ではあるのだが、やはり、僕には、東北の方々とは、当たり前のように温度差が出てしまう。

ある意味、人ごとのような10年だったのかも知れない。

 

残念ながら、この10年、

日々その感覚は薄らいでいった。

 

実は、昨年のこの時期、FUKUSHMAというタイトル(微妙に違うかも知れない)の映画を観た。確かその後すぐ、一度目の緊急事態宣言で、殆ど、脚光を浴びずに眠った状態になったはずの震災と原発の映画だ。

 

 

忘れてはいけない、

忘れずはず無いと!

あの時、あの胸の震えは、

確かに、確かに覚えている。

 

しかし、

残念ながら、なのか…

申し訳ないが、なのか…

僕が冷たい奴、なのか…

 

やはり、

現地でその恐怖を浴びた人のようには、

語れない。

なにより、本当の悲しみってものは、

やはりわからないと。

 

誤解しないで頂きたい。

察する事は僕にも出来るのだ。

 

但し、当事者でもない人間が、あたかもって思いを綴るには、あまり白々しいのである。

もし、僕が、それをされ、上澄みのだけの慰めを届けられても、複雑な気持ちになるだけだろう。だからこそ、この思いに赤裸々でいたい。

 

冷たい僕が出来るのは、そんな時時、

張り詰めた遠くの街を思いを、少しだけだが察する事だけ。

 

だけど、心の奥底に少しだけ眠っているはずだ。

 

温かさなんていうものも。