昔、そんなタイトルの唄があった。
かっこいいのに、かっこ悪い?なんだそれ?
早川義夫によって唄あげられたその世界観は、なんとも不気味で、後味が悪く、それでいて癖になるタチの悪さだ(YouTubeで聴けるが、マインド参ってる方は夜中に聴かない方が良い…いや、昼間でもあまり勧めはしない)。
世の中は不条理の塊である。
同じ家族であるはずなのに、姉と妹、確かに何処となく似ているが、かたや美人で、かたや……。なんて事は当たり前のように存在するのがこの世界。
それが絵本の世界ならば、
美人な姉は何処かで損をし転落人生を…又は性格が悪かったりと、妹とのバランスをとってくれるものだが、現実はそうはいかない。
○○な女の子は、美人な姉と比べとことん報われない人生だってある。
男兄弟、学校の友人同士であっても、勿論、美しく煌びやか満載のヨガ界であっても、悲しい程に生まれ持った『運』『容姿』は、その後の人生やスキルや収入にも大きく影響を及ぼす。
これは差別の話でなく、不条理の話である。
『健康』という名の元気も、全くを持って不条理である。
残念ながら西洋医学にうんざりし、ヨガに希望を託し、又、様々な代替医療を行なっても、思うような身体や元気に辿り着けない方は、世の中にはゴマンといる。
『空がぐるんぐるんと回り出し、熱中症で倒れ、それがきっかけに、パニック障害が再発し、起き上がることも困難になりました』
『寝たきりでヨガスートラを読み、めまいで身動きできない時は般若心経を覚え…やっとの思いで数分間、座って瞑想できる…そんな風にして過ごしてました』
この痛々しい言葉は、来月のuchida Fes、『閉塞感を突き破れ』にリアルアナ骨ティーチャーとして参加してくれるNaoさんの生言葉そのものである。
話を聞くと、彼女は、これ以外にも幾つもの不調を抱え、今なお、全てが解決した訳でないが、それらと上手く寄り添い、良い塩梅という場所を探しながら、生きているようだ。
普通の暮らしが可能な方からすると、何処か眉唾にもなるだろう。そう、表にこそはださないが、『えっ、本当?』と、僅かながらでも疑りを入れてしまう、そんな超がつく程の健康の方もいるだろう。
現に、僕自身、代替医療という場所に身を置きながらも、そのフェイクもどき、フェイク的なシーンは山ほどみている。
残念ながら、うつ病などの世間的認知が深まれば深まる程に、それを盾に世間の空気に寄りかかり、権利ばかりを貪る輩が存在するのも事実なのだ(勘違いしないで欲しい、うつ病の方を嘘だと言っているのではない)。
こんな私を攻撃するの?
こんな状態の私に働けというの?
残念ながら常套句でもあるのだ。
話をNaoさんにもどす。
彼女の名誉の為にも、断言をするが、Naoさんは全く違う。
例えば、アナ骨WSでは、大阪やzoomにて何度も参加してくれている。何も言われなければ、全くわからない、むしろ抜群にアーサナがとれる類いのヨギーニである。
しかし、謙虚な彼女は、終了後に必ず『すみません、途中、アーサナ解いてしまいました。ダメダメです。』と申し訳なさそうにポツリと話すのだ。
『いやいや、Naoさん、今日のNaoさんが解くとかなら、クラス中、みんなもっと解いているし、その心が弱いだとか、ダメだとかなら、この世の中全ての人がもっと弱く、日々反省だよ。ある意味、誰よりも頑張ってるし、誰よりも、立ち上がる力を持っているよ』
これは、僕の心の中の声であり、果たして伝えて良いものなのか?
いつも迷いならが、言葉に蓋してしまう。それは、僕には正解がわからないからであり、又、そんな陳腐な言葉など期待していないだろうからだ。
恐らくNaoさんもこの文面を通し初めて聞く言葉になるだろう。
理想や志と言ったものが、遥彼方にあって、眩しすぎると、時に人はその目をやられる。
憧憬や大願と言ったものが、胸の奥で熱すぎれば、時に人は心をやられる。
Naoさんの言葉に一切の嘘はない。
人は心の力が尽きると、1ミリたりとも動けなくなるのだ。キツイ時、恐らくトイレに行く事も辛いであろう。それでも彼女はそこから抜け出そうとする。
誰かのせいした方が楽かもしれない。
世の中の不条理を恨んだ方が軽くなるかもしれない。
それでも、彼女は『私自身と向き合う事を終わりにしようとしない』
悲しみを遠くから見つめても、輪郭しか捉えられないが、その悲しみのど真ん中にいる人間は、悲しみを大袈裟には話さない。
彼女が僕に、寡黙なのはそういう事だろう。病を通し一つ、高い場所に降り立った者だけが、見渡せる地平線もあるはずだ。それがどんな景色なのか?彼女にしかわからない。その景色は乗り越えて来たものだけが、見つめられる唯一の光なのだ。
『かっこいい事はなんてかっこ悪いのだろう』
裏を返せば、かっこ悪い事は、限りなくかっこ良いのでる。
Naoというヨギーニが、かっこ悪い訳がない。