傾聴という言葉がある。
定義としては、言葉の意図する向こう側をいかに読みとるか!
流し聞きをするのではなく、心を傾け、しっかりと目の前の相手の思いを引き出す事。
例えば、カフェでのやりとり。流し聞きにこんな事がある。傾聴以前ともいえるのだか…。
『熱めのラテ下さい』
『かしこまりました、ホットですか?アイスですか?』
『……』
マニュアルだけに準じてしまい、残念すぎる例だか、実際、これに似たやりとりは多い。
最近はあえて、
『かしこまりました、ホットですか?アイスですか?』に対し、
『ではアイスで!』といっても、
『かしこまりました。熱めのアイスのラテですね』
と自分のチグハグさえも、全く気付かない店員さんもいる位である。
簡単ではあるが、仕事をするではなく、仕事を流すとそのような結果になる。
そこに信頼を頂く事は出来ない。
ヨガインストラクターであろうが、医療従事者であろうが、飲食店員であろうが、人の本質としての軸にあたる場所だ。
しかし、実はこの傾聴、ある種の訓練が必要でもありそう簡単ではない。
何故なら、単一民族である日本人には、暗黙の了解というような『しきたり』が、存在する為、割となぁなぁな関係、言わなくてもわかるでしょ、阿吽の呼吸でなどで、まかり通ってしまうからだ。
この言わなくてもわかるでしょで、ぼく自身、いつも、誤解を受けている。
心を込めて聴く事という日常は、案外思う以上に、そして話す以上に難しいものだ。