小さな女の子2人。手を繋ぐようにして歩いている。一枚のモノクロ写真。
記憶の彼方を探していたら、彼女のSNSで目にした物であった。
『幸せ』に形があるなら、この瞬間を指し示すのだろう、そこには安らぎのようなものが、醸し出されている。
陽だまり、公園、家族、緑、ワンピース、2人の娘、ゴムで結われた揃いの髪。
ここからは、沢山の会話が終わりなく聴こえて来くるのだ。
夕食のメニュー、明日の宿題、姉妹のケンカ、子供を見る父、胸一杯の母、家族の微笑み、沈みゆく太陽、湯気をたてた朝のスープ、学校の黒板、古びたランドセル、半乾きの上履き…。
それは、僕の中でずっと憧れであった、家族の象徴なのかも知れない。
こんな優しさに包まれたら、叱られた記憶それさえも、微笑ましくも懐かしい思い出として残るであろう。
手招きするように思い出したくなる映画の一幕のようでもある。
そんな遠い日の『幸せ』の形。
何の矛盾もない一枚の写真は、時間を忘れ見つめてしまう一時を与えてくれる。
この一瞬があればこそ人は頑張れる。
この一瞬があればこそ人は報われる。
といった『形の無い確かな何か』がそこにある。やがて一枚のモノクロ写真は物語を紡ぎ出す。
誰もが家族を愛し、その場所を守り、そこで生きているのだ。
しかし、何が外れてしまうと、その形は音もなく崩れていく。
彼女から醸し出される空気。それは不健康という気配は全く見当たらない。悲しみなんて、そんなものからは程遠い暮らし。そんな風に元気に見える。
しかし、実の所、大きな手術が必要なコンディションであり、それも人生の一コマと呼ぶには、随分と長い患いでもあるようだ。見かけとはかけ離れているのが彼女の現実であった。
だからこそ、母親である彼女は誰より肌で感じているのだろう。
『幸せ』
それには形がなく、
そんなものなのだと。
それは何処にでもある一つの形である事も。
キーホルダーに型取られた一枚の心のお守り。アンデルセン公園。娘との思い出が沢山詰まった、彼女の帰る場所だそうだ。
その写真を改めて見た時、鮮やかなグリーンが目に写った。写真はモノトーンではなかった。
モノトーンという錯覚は僕の中の憧れが創り出した『幸せ』という名の心象風景であったのだ。
憧れの家族の母親は馬場貴未。
大きな手術をしなければならない体調ではあったが、大切な家族に囲まれて、何とか普通に生きている。
彼女は知っている。
『幸せ』に形のなきことを。だからこそ、新緑を思わせる晴れやかなアナ骨がそこにあっても良いであろう。
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- 内田かつのり -