吉田拓郎の『ぷらいべいと』という酷く私的空間が浮かんでくるようなアルバム。
それをデモテープなどと言うには、本当におこがまし話で、クオリティがデモテープという訳ではなく、作り上げた当時の環境を後から聞くと、どうやら非常に追い詰められていたようだ。体調も芳しくなかったようである。
それなのに何故だが、僕にはそんな悲壮感は感じられず、ずっと昔からこのアルバムは酷く力が抜けた吉田拓郎が感じられた。
その中に『春になれば』という曲がある。必ずと言って良い程、この時期に思い出しついつい聴いてしまう。
ジャケットには拓郎本人が描いた絵?だったような記憶もあり…(違うのも知れない)。
又その絵を囲む周りの緑色がずっと印象に残っているのだ。つまりそれは戦略としては大成功なのだろう。
春をイメージしたものなのか?
全くを持って違う狙いなのか?
その解釈は聴き手の自由なのだ。
ただ『春になれば』を聴いていると、木の芽が土の中から頭をもたげるかのように、春独特の土の香りをこの唄は運んでくれる。
緑と土の入り混じった匂いは鼻の奥をつつき、この風の暖かさは?2月の寒さはどこへいった?いったいいつ季節が替わったんだ?と冬の終わりを感じる事がとても嬉しくもある一曲。
『悲しみが 心の扉を叩くまで
人はそれまでのあやまちに 気付かないんだね』
今もきっと、この2行の言葉を聴きたくて、そっとイヤホンを耳に当てる男たちがいるだろう。
- 内田かつのり -