あまり聞き慣れてない言葉になるかも知れないが、医療の中でSDMという言葉がある。
インフォームドコンセントさえ、まだまだ一般的でないのに、この言葉を耳にする機会は少ないのではないか。
Sはshared (シェアード)
シェアという言葉のイメージである。
Dはdecision (デシジョン)
決定、決断などの意味がある。
Mはmarking(メーキング)
作る、製造などの意味がある。
日本語に訳すと、「共同的意思決定」
利用者(患者)と提供者(医師)が、
意思決定(治療方針の決定)に関し
目標共有し力を合わせ活動する事。
というものが教科書的な定義になる。
『医者の言う事は絶対である』といった概念、強迫的観念。父権主義(パターナリズム)という名の悪しき習慣は、昭和の時代では当たり前のように、何処にでも、そこら中にはびこっていた。
昭和一桁世代の方々が、医師に対し遠慮がちでに、又、何処かやるせなさを残しながらも、仕方なしと、項垂れるのは、このismからであろう。
しかし、平成から令和という時系列の中で、ずいぶんと、患者の権利は認められ、それは時に、消費者的立ち位置さえにもなる程である。
『患者』から『患者様』への変化とは、この事なのだが、その持ち上げ方が、『患者様』を勘違いさせてしまう事もあり、医療側が苦笑いしかない場面も多々あるだろう。
人と人とは難しいものだから。
この関係は、学校や会社などの社会全般においても、同じような変化が見られる。
Twitterの中で若手医師がコロナに対して、何気なく呟く言葉の裏、違和感が感じる事が多い。
何処かで『俺たちは絶対である』『僕は常にトップの成績だったから』『医者が間違える訳ないだろ』というような、選民意識丸見えの横柄で高圧的態度は、傲慢不遜をまき散らすただの嫌な奴にしか映らない。
もしかしたら、直にお会い出来る機会があれば、それは全く違う印象の人物像なのかもしれないが、SNSという心が見えにくいツールは、やはり大きな誤解ばかりを招き、心が擦り切れていくリスクも覚悟が必要なのだ。
出来る事なら抜群に頭の良い、未来を背負う若手医師を、いつもいつも尊敬と憧れ抱きながら見つめていたいのだが。
コロナがそれを許さない。
- 内田かつのり -